B-04 小泉浩一 継続は力なり
- 牟田 晃洋
- 2019年2月20日
- 読了時間: 3分
更新日:2019年7月27日
新入生歓迎旅行での運命の出会い
平成2年春 夢と希望に満ちた九州での生活が始まった。中学の頃から6年間バスケットボール一筋でやってきた私にとっては、大学でも続けようとの思いから入学式当日に勧誘された全学のバスケ部に入部するつもりであった。その入学式から数日後に行われた新入生歓迎旅行で運命の出会いをすることとなった。その人とは、歯学部バスケ部創設者の嘉手納さんである。当時歯学部バスケ部はなく、またあったとしても入部するつもりはなかった。そんな中、「今年から歯学部にバスケ部を作った。一緒にやっていこう。」と、あのいつものような熱い口調で勧誘され、あれよあれよという間に入部してしまったのである。
バスケ部の創部期
当時の話は今の若い学生にはなかなか理解できないことと思うが、まず練習場所がなかった。(そのため、医学部と一緒に練習していた。)また、マネージャーもおらず、試合中はベンチにいるものが水くみしていた(初めてのオールデンタルは7人で参加したため、ベンチの2人が水くみ)。調子が悪くてベンチに下がるのではなく、休憩したいためにベンチに下がった。そんな状態で始まったバスケ部はいまやベスト4に残るまでに成長し、さらには女子部が創設されたと伺った。私の好きな言葉に「継続は力なり」というのがある。まさに、苦しい時期をみんなでがんばってきたから今の部があると考えている。
きつい練習で辞めるのはかっこわるい
さて、昔を振り返って執筆してくださいとのことで筆を執ったが、走馬燈のように様々なことが甦ってきて何を書いていいのやら悩んでしまった。そこで思い出話もいいが、ここではあえて私のバスケット人生について回顧しながら書きたいと思う。思えば25年前の中学入学時、担任先生がバスケ部の顧問であったというだけの理由でバスケ部に入部したのが始まりである。特に運動能力に優れていたわけでもなく、身長も148cmと小柄で、またバスケに興味があったわけでもなく、ただ何となく日々練習していた。通常であれば、徐々に興味がわいてきて一生懸命になっていくところだが、きつい練習に耐えられなくなって辞める同級生が次々に出る中、こんなことで辞めるのはいささか格好悪いとのことで続けていたのである。
継続することでバスケットが好きになっていった
高校に入学する頃になると、身長も伸びてきてチームの中でも存在感が出てきて、期待が高まれば高まるほどそれに後押しされるかのごとく興味が沸いてきた。中学ではこれといった成績もなかったが、高校ではオール関西(西日本学生大会)や中国大会(広島出身のため)に出場し、めきめきと頭角を現してきた。(自分でいうもの恥ずかしいが・・・。)最終的には広島県選抜の候補にまで名が上がるまでになり、バスケが楽しくてしょうがなくなってしまった。先にも述べたが、ただ何となく始めたバスケが自分の成長に伴ってこれほどまでに好きになるとは思いもしなかった。その後は、想像にお任せする。このバスケが今やいろんな人との交流を深め、また人生においての糧となっていることは言うまでもない。だからこそ、学生諸君に言いたい。何かの縁でバスケを始めたわけであるから、特別な理由がない限り最後までやり通してもらいたい。きっと年をとったときに、いい思い出として振り返ることが出来ると思う。
最後に、もう一度あの言葉を言いたい。「継続は力なり」。

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