B-01/02 佐々木 努 私はバスケ部に貢献できたか?
- 牟田 晃洋
- 2019年2月18日
- 読了時間: 4分
更新日:2019年7月27日
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平成7年卒の佐々木努と申します。卒後は九大2口外に6年、八女のスマイル歯科に3年、その後熊本市で開業し5年目を迎えております。日々の診療・医院経営、2人の子供の子育てに追われ、土日診療を行っているためOB会にもなかなか参加できず、随分バスケ部と疎遠になってしまいました。
今回、このような機会に恵まれ当時の事を思い返そうとしておりますが、なんせ20周年記念ということは、創部時のメンバーである私にとっては20年前の事、記憶も薄れ断片的な思い出を辿り何を書いたらよいものかと頭を悩ませております。
私のバスケ部での存在意義とは・・・
自分にとって医学部バスケ部時代の2年を含めた7年間(1年留年)は何だったのだろうか?
なかなかこれというものが出てこない。
プレイヤーとしては?大学からバスケットを始めたが才能はなく、人より練習をしたかというとそうでもなく、部員が少なかったため試合には出してもらっていたが、ゲーム中はよくキレてチームメイトに注文が多い。“つとむさんがイライラするとチームのムードが悪くなる”とマネージャーから怒られたこともあったなあ。よく足も攣った。これじゃあダメダメだ。チームメイト皆さん大変ご迷惑をおかけしました。
プレー以外では?キャプテンを経験できなかったのが残念だ。チームをまとめて引っ張るキャプテンを務めるということは素晴らしい経験だと思う。自分もなりたい気持ちがあったがチャンスと人望が足りなかった。人間的にチームメイトに良い意味での影響を与えられる存在でもなかったように思う。
なにかマイナス面ばかりで面白くない。自分ができたと思う事を探してみよう。
ばらばらな部員の集まりのチームだったバスケ部が存続できた理由とは・・・
できた事は??バスケ部を潰さず次の世代に引き継げたこと!これでしょう。もちろん私一人の力ではなく、皆でできたことではあるが、バスケ部を存続させたいと思う気持ちは人一倍あったように思う。
創部直後、バスケ部誕生の発起人であるてんじん村のマスターから“チームを作るのはもちろん大変だが、勢いで出来る。チームを存続させるのはもっと大変だぞ。”と言われたことがある。その言葉通り、当初のチームはまとまりもなくふらふらした状態だったように思う。部員6人、マネージャー0人から始まり、決まった練習場もなく、5対5の練習をするには医学部バスケ部からハーフコートと若手衆5人を借りるか、練習試合を求めて放浪状態。創部から2年間は新入生の勧誘に失敗し、小泉・津田は3年間雑用係(スマン)。徐々に、バイトに重きを置く者・留年し生活が乱れるもの(私です)・ゴルフにはまる者・社会人バスケットに楽しみが向く者・体調を崩しバスケットから離れるもの等等。かろうじて時々集まり共にバスケットをするという状態が続いていた。
そんなチームがなぜ存続したのだろうか?おそらく当時の部員皆が多かれ少なかれこのチームとチームメイトに愛着を持っていたからではないだろうか。それでは、その愛着は何から生まれたのだろう?やっぱり、オールデンタルという大会が大きなウェイトを占めていたように思う。
オールデンタルに参加するという事はただバスケットの大会に出るという単純なものではなく、私はそのイベントのさまざまな部分からチームに対する愛着を強めたように感じる。
チーム愛がはぐくまれる理由
その1、遠征するという事
練習や試合以外ではあまり行動を共にしないメンバーでも半ば強制的に数日間行動を共にする。遠方へ移動し、一緒に食事を取り、同じ宿に泊まる。特に当時は旅費を浮かすため新潟までJRで行ったこともあった(遠かった~)。泊まった宿もよく憶えている。2回目の東京の宿、ドアをあけたら目の前に壁、ふとんをひいたら荷物が置けなかった。
その2、チーム一丸となり大会を戦う。
これは当然一体感が生まれる。
思い出の試合は?初出場東京での初戦阪大戦、引退試合となった札幌の日大戦、最初と最後がやはり印象深い。あと、何時だったかははっきりしないが、大接戦オーバータイムで勝利した奥羽大戦かな。
その3、打ち上げとアフターデンタル
打ち上げでは引退する先輩を惜しみ、キャプテン交代で来年への想いを共感し、その後は夏休みという事もあり弾けまくる。
現地解散の後はグループや個人別に自由なアフターデンタル。浅草花やしき、佐渡島1周、札幌丸山公園での野外泊、良い想い出ばかりである。
現在のチームは人数も多くゲームに出られない部員も多いと思う。“ゲームに出られないのだからわざわざオールデンタルには行きたくない”と思う部員もいると思うが、それはもったいない、ぜひ全員参加でこのイベントを楽しみチーム愛を育ててほしい。
ダラダラと書いてきたが、はて?私はバスケ部に少しは貢献できたのだろうか?
記憶を辿ることで懐かしさのほうが強くなり、そんなのどうでもよくなってきた。
それよりもチームメイトに久々に会いたくなったし、できればいつか5分でも10分でもいいので当時のメンバーと一緒にコートに立ちバスケをしてみたい。以前よりももっとピチピチで恥ずかしかろうあの紫のユニフォームを着て。

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