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B-06 堤 王宏 歯学部バスケ部存亡の危機を乗り越えて

  • 執筆者の写真: 牟田 晃洋
    牟田 晃洋
  • 2019年2月22日
  • 読了時間: 5分

更新日:2019年7月27日

自分は歯学部バスケ部のために何ができたのか? 創部者の嘉手納さんや、歯学部で最もマイナーだった部を最もメジャーな部に育て上げた牟田君のようなカリスマ性は自分にはなく、かといって小泉さんや林田のようなスーパープレーヤーでもない。この問いの答えを見つけるべく、過去を振り返ってみたいと思います。


入部~2年生の夏(平成5年~6年)

私は平成5年(創部5年目)入学です。高校からバスケを始めましたが,レギュラーになることもなかったためバスケにはあまり情熱も未練もなく、大学では他のことをするつもりでした。ところが泊りがけの歯学部新入生歓迎コンパで、当時キャプテンの小泉さんから唯一の経験者とのことで指名を受け、また津田さんや、歯学部のコンパに勧誘のために来られていた医学部の奥川さん、中山さんらの勢いに押され(ではなく魅力に負けて)、なんとなく入部しました。

入部してみると歯学部は練習する場所もなく、部員も数少ない上、医学部の練習に参加するのは数名で、他の先輩は試合の時だけ顔を合わせるという感じでした。さらに直近の2学年は先輩部員がゼロという状況でした。しかし練習試合や医学部練習に行くたびに、佐々木さん(努さん)がわざわざ私の自宅まで車で送迎していただき、とても自分たちが大切にされていること、そして何とか歯学部バスケ部を盛り上げたいという気持ちをこの時ひしひしと感じ、6年間続けていこうと思いました。

翌年2年生のオールデンタルでは努さんたちの引退の年に6位入賞を果たし、私自身も上位決定戦の緊迫した試合に出場する機会もあり、非常に満足した年でした。


2年生秋~3年生夏(平成6年~7年)キャプテンの年

ところが直近2学年に先輩部員がいなかったため、当時S2(教養部2年生)の分際で秋からキャプテンをすることになります。新入部員はたくさん入るのですが、バスケ部に(私たちに?)魅力が無かったためか、ほとんど辞めていく状態。一緒に練習させてもらっていた医学部バスケ部は対照的に、九山、西医体、全医体を制覇する第2次黄金期。私と同時期に医学部キャプテンをしていたのはトッププレーヤーの吉田聖さんで、そのギャップに苦しみながら舵取りをすることになります。それでもまだ先輩方が在籍されていたこともあり、何とか3年生のオールデンタルでは、キャプテンの年にベスト8を果たすことができました。


3年生秋~5年生夏(平成7年~9年)存亡の危機

実はバスケ部が最も存亡の危機にさらされたのは、この2年間です。私は3年生ながらすでにキャプテンも終え、引退までの長い長老生活に突入するのですが、精神的支柱でもあった先輩たちが引退され、後輩たちは相変わらず部を去っていき、数少ない残ったかわいい後輩たちはバイトにいそしみ、練習試合に行けば集まるのは4人、オールデンタル直前にコート一面を練習用に確保しても2人しか集まらない有り様。1学年後輩で唯一のスーパープレーヤーの林田は不甲斐ない周りのプレーにいつも激怒で、試合中、直後の雰囲気は最悪(でも試合後はなぜか仲良く一緒に飯を食っていました)。多い時は1日3試合をほぼ全員フル出場で心も体もクタクタ。ただそういう時も医学部の先輩たちが林田をなだめてくれたり、医学部で試合に出られないメンバーが練習試合に出てくれたり、練習では5 on 5の相手をしてくれたりと助けてくれました。また、私自身辞めたくなるときもありましたが、入部したての頃に努さんをはじめ先輩たちが非常に面倒をみてくれたので絶対につぶしてはならないと思い、また自分が辞めると先輩たちがつなげてきた部がなくなる気がして、その責任感だけで何とか存続させることができました。おそらく、同期の森野、鬼塚も同じ思いだったと思うし、多くの後輩が辞めていく中で同期が誰一人辞めなかったことは誇りでもあります。


5年生秋~引退(平成9年~10年)

5年生になった頃にはしっかり者の後輩たちが次々に入部し、女子部の原型もできて、部としての体裁がかなり整いました。後輩たちのおかげで最後のオールデンタルも決勝リーグに進むことができました。現在ほどの大所帯ではありませんが、「バスケ部の今後はこれで大丈夫」と思えるようになり、安心して引退することができました。



私の歯学部バスケ生活でやはり欠かせないのは同期の森野、鬼塚、それに1つ後輩の林田です。バスケ部をさっさと辞めて合コンサークルに没頭すると思われていた森野は、未経験者ながら最も大変な時期にキャプテンを務めてくれ、運動経験がほとんどなく誰もがすぐに辞めると思っていた鬼塚は、会計や試合のビデオ撮影等、引退間際まで縁の下の力持ちとして部に欠かせない存在感がありました。近隣の他大学のバスケ部員も、私や森野のことは知らなくても、カメラ片手に縦横無尽にコートの外を駆け回る鬼塚のことは知っているほどで、卒業してからも「あの鬼塚君は元気?」と声をかけられます。また後輩の林田は試合中、先輩相手に呼び捨て、胸ぐらをつかむなどの暴挙は日常茶飯事でしたが、なぜか林田が繰り出すアシストにだけは私も嗅覚が働き、そのセンスに感心したものです。私が卒業して研修医1年目のときに、最後のオールデンタルを終えた林田が「自分が引退した今年よりも、堤さんたちが引退した去年の方が熱くなったな」と言うのを直接聞き、一番苦しい2年間を共にした者同士思いは同じだったのかなと10年前に感じたのを思い出します。



冒頭の疑問、自分はバスケ部のために何ができたか?その答えは、細々ながら部をつぶさなかったことに尽きるような気がします。ただしそれも、マネージャーを含め、歯学部、医学部バスケ部関係者みなさんの支えがあったからこそ可能だったと思います。


私が現役の頃は小所帯ゆえの悩みが尽きませんでしたが、現在のように部が大きくなれば大所帯ゆえの問題もたくさん出てくると思います。これからもいろんな困難に直面することがあるかと思いますが、部員みんなが一人一人を大切に思えば解決できると思います。  


歯学部、そして医学部籠球部の今後の益々の発展を祈ります。






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