B-02/03 鬼丸 満穂 歯学部バスケットボール部創立20周年を迎えて
- 牟田 晃洋
- 2019年2月19日
- 読了時間: 4分
更新日:2019年7月27日
二代目・三代目キャプテン
私とバスケ部、そしてお酒との出会い
私が九州大学に入学した時、実は歯学部サッカー部に入部しようと企んでおりました。当時はそもそもバスケットボール部自体が歯学部になかったことや、高校時代はサッカー部であったことがその理由です。しかし、気づいたときにはバスケットをやっていました。入学当初、予備校時代の知り合いであった吉永君(当時からは想像もつきませんが、今は立派な麻酔科の先生です)がバスケットボールに興味があり医学部バスケットボール部に見学に行きたいと言いだし、六本松からチャリをこいで医療短大の体育館までつきあいがてら見学に行ったのがそもそもの始まりです。医学部バスケットボールの諸先輩方は、我々を大いに歓迎して下さいました。そして、その日の夜に予定されていた花見に連れて行ってもらい(拉致され)、温かい洗脳を受け、めでたく吉永君のみならず私も医学部バスケットボール部に入部する運びとなったわけです。まじめかな、私が生涯初めて酒を口にし、酒の魔力に魅了されたのは、何を隠そうこの花見の席であることを付け加えておきます。そして翌日のつらさも同時に経験させてもらいました。
津田君のポカリスエット、佐々木君の黄色のフォルクスワーゲン、一泊3200円の宿
その後、私の教養部時代の生活は、バスケットボールを軸に実に充実したものとなりました。バスケットのみならず、肝臓、胃袋も鍛えられ、とりわけ、中川—犬丸—天井桟敷—ジャンボラーメン(ラーメン五杯分)というスペシャルハシゴコースを幾度となく体験させてもらった事は今でも鮮明に記憶しており(渡部さんお世話になりました)、その豪華スペシャル体験は、半年後に虫垂炎として花開くことになったのです。そう、私の虫垂炎発症と時期を同じくして、初代キャプテンである嘉手納さんのご尽力と多くの諸先輩方のご協力により歯学部バスケットボール部が誕生しました。当時の部員は六人で、あの伝説の津田君がポカリスエットを作っていました。私の記憶によると、初めてのオールデンタルでは、初の対戦相手であった大阪大学に快勝し、さらに決勝トーナメント進出も果たし、祝いの酒に酔いしれたことを覚えています。しかしメンツ的な苦しい状況は、二代目キャプテンを仰せつかった私の時代も一緒でした。やはり、伝説の津田君がポカリスエットを作っていました。オールデンタルは長崎で行われたことを記憶しています。あろうことか、長崎に向け車で出発する日に、わざわざ赤道付近から台風が応援に来て激励の嵐をプレゼントしてくれたおかげで、下道でこつこつ向かうはめになったこと、そのとき前を走っていた佐々木努君の黄色いホルクスワーゲンが妙に印象深かったことを思い出します。試合の方は、昨年準優勝だった岩手医科大に激戦の末勝利し、またもや祝いの酒に酔いしれたことを記憶しています。翌年、再び私は三代目キャプテンに任命されました。この年に私の記憶が正しければ、新入生が数名入部してくれたと思います。この年のオールデンタルは東京で開催され、そう、ちょうどバルセロナオリンピックで盛り上がっていた時期であったと記憶しています。お金もなく(個人的に)、東京での宿泊代をなるべく安く挙げるために一人一泊3200円の宿での宿泊をキャプテンの特権で強要したことを思い出します。この宿は、確か複数人で一つの部屋であるばかりでなく、午後11時を過ぎるとエアコンが自動的に切れ、使えなくなるという優れものの宿であり仰天した覚えがあります。あまりにも宿泊が過酷であった故、残念ながら試合のことは私の記憶から抹消されてしまっており思い出せません。こんな私をお許し下さい。
よりパワーアップしたバスケ部を
その後、私は2年程、自分発見の旅に出て、休部のような状態を続けておりました。ちまたでは仙人になって山ごもりをしていたとの言い伝えもあるようです。2年後にバスケットへ復帰した際には、人数も随分と増えパワーアップしていました。その時、下山してきた自分を快く迎えてくれた同僚、後輩達にこの場を借りて感謝したいと思います。今思えば、私の波瀾万丈の学生生活の中で、唯一光っていたことがバスケットボール部での活動であった気がします。そして、自分を瀬戸際から脱落しないように支えてくれた、それがバスケットボールでした。最近、可能な限りOB・OG会には出席するようにしていますが、出席するたびにそのにぎやかさに圧倒されるとともに、頼もしさを感じます。どうか、現役後輩諸君にあっては、オールデンタル優勝を目指して日々精進し、我々がなし得なかった夢を実現して欲しいと願ってやみません。そして、ここまで大きく強くなった歯学部バスケットボール部のレベルを衰退させることなく維持し、願はくば、さらにパワーアップした状態で、30周年記念を迎えられることを願っております。

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