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B-14 廣末 晃之 バスケ部で得た一生の仲間たち ~共に流した汗と涙~

  • 執筆者の写真: 牟田 晃洋
    牟田 晃洋
  • 2019年3月11日
  • 読了時間: 6分

更新日:2019年7月27日

 

この度、創部20周年にあたり、記念誌に執筆させて頂くこととなり、大変光栄に思います。任期中のことを中心にということですので、私が担当させて頂いた2003年のデンタルまでの期間を中心に、当時の部活を振り返って書かせて頂きます。


愛の説教部屋

 私自身は2年生からバスケ部に入部した訳ですが、まず入部当時のバスケ部を振り返ると、今のように大所帯ではなく、5対5がぎりぎりできるか否かの人数で週2回の練習を行っていたものでした。しかし、低学年の頃の私はあまり真面目な部員ではなく、練習や飲み会をバイトで休むことも多く、今振り返ると、当時のキャプテンであった上田さん、慎太郎さんをはじめ先輩方や部員には大変ご迷惑をかけたことを反省しております。そんな私が変わるきっかけとなったのは、2001年(慎太郎さんキャプテン時代)の春合宿でした。ある部屋に呼び出され、そこには中島さん、松延さん、上田さん、慎太郎さんがおられました。慎太郎キャップからの真剣なお説教に加えて、他の先輩方が茶々をいれながら私に対して温かいお言葉をかけて下さいました。その「愛の説教部屋」のおかげで、私は部活における自分の立場を認識し、部活に対する姿勢を改善でき、後にキャプテンという大役を任せて頂けるようになったと感じております。


大事なチーム戦略

ここからは、キャプテン任期中のことについて書いていきます。

2002年横浜デンタルにおいて、九州No.1センターの慎太郎さん、そして上田さんという大きな柱の先輩が引退され、まずは大きな穴を埋めるところからスタートしたシーズンでした。当時の幹部である設楽君(副キャプテン)、高尾君(主務)、女子部キャプテンの原田知佳子さん、そして同学年の佐野君、進君、牟田さんで練習メニューを組み立てたり、チームの方向性を夜遅くまで話し合ったりしたものでした。目指したチームの方向性としては、走れるチームをつくるということでした。当時のセンター陣は進君、渡邊君(タクマ)、今田君、牟田さんであり、他のチームに比べ、上背に劣っていたため、オフェンスでもディフェンスでも走れるチームを目指しました。そのために練習終了後の外周を行うようにしました。


みんなで参加した指宿菜の花マラソン

その延長線上ということで、当時交流のあった元天神村のマスターからのお誘いもあり、「指宿菜の花マラソン」に挑戦することとなりました。当初は数名の部員からの反対もありましたが、最終的には数多くの部員、さらにはマネージャーの古川ちえりさん、バトミントン部、野球部の先輩方を含め大勢の参加者で初マラソンに挑みました。菜の花マラソンは最初の10kmくらいまでアップダウンが続き、35km以降に心臓破りの坂がある初マラソンの私たちには過酷なコースでした。しかし、それぞれ自分たちのペースで途中の差し入れを楽しみながら、参加者全員が完走という快挙を成し遂げたのでした。私自身、自分の目標タイムは達成できませんでしたが、ひとつのゴールに向かって走り続ける苦しさとゴールしたときの何物にも代え難い感動を味わうことができ、人生の中で非常に貴重な経験をすることができました。マラソンの効果があったかどうかは定かではありませんが、何とか目指していた走れるチームとなって2003年の岐阜デンタルに臨むことができたと思っております。


日々の活動期を記した部誌の立ち上げ

また、チーム内の意識の統一や部員みんなからの意見を取り入れる目的で部誌をスタートさせました。当時は現在のようにホームページ上に投稿するのではなく、ノートに練習や試合後の意見や反省点を書き、みんなに回していく「交換日記」スタイルでした。そういったアナログ時代からスタートした部誌が、現在では立派な形で継続されていることはうれしい限りです。この習慣はぜひ今後も継続していってもらいたいものです。このように部誌や練習後のミーティングにおいて、部員のみんなからの貴重な意見やアドバイスを得ながら、デンタルに向けて部員一丸となって日々の練習を積み重ねていきました。


9年ぶりのベスト8進出、そして全員出場、全員得点したデンタル

センター陣は先に述べた進、タクマ、今田、牟田さん、フォアード陣に石橋さん、間宮さん、設楽(ナオキ)、鬼村(オニ)、ガード陣に行實さん、佐野、松原、高尾、高鍋(ナベ)、私、マネージャーに古川ちえり、林田かおり、マキミキ・ヤヨイのお局2人、そして新入生に堀内(カズ)、上村(ヒデ)、中村(タクヤ)3人の部員と3人のマネージャーを迎え、男子部は総勢24名で2003年の岐阜デンタルに臨みました。予選リーグの対戦相手は、大型センターのいた松本歯科大学、鹿児島大学、そして4校戦等で交流の深かった岡山大学でした。1勝1敗で迎えた、予選リーグ最終戦の岡山大学戦は勝った方が決勝Tに進出といった明暗を分ける戦いでした。前半は劣勢に立っていたものの、センタータクマの爆発的なミドルシュートが決まり、またヒデ、カズの初デンタルコンビの活躍もあり、最終的には見事決勝Tへの切符を得ました。決勝T初戦では北海道医療大学に勝利し、9年ぶりのベスト8進出でした。しかし、準々決勝では北海道大学に大敗を喫し、目標としていたベスト4進出は断たれましたが、最終戦の松本歯科大学戦では全員出場、全員得点という思い出深い試合で岐阜デンタルを終了することができました。


バスケ部で得た一生の宝物

 このようにして私のキャプテン任期は終了し、第15代の設楽君に引き継ぎ、最終学年においては後輩達のおかげで、デンタル6位という最高の成績を残し引退することができました。私が5年間バスケ部を続け、キャプテンという大役を成し遂げることができたのもOBの先輩方、同学年、後輩達の支えがあったからこそです。学生生活の大半をこのバスケ部で過ごしましたが、部活の中で私はかけがえのない仲間たちを得ることができました。時には厳しい言葉で意見をぶつけ合うこともありましたが、そのようなことでより一致団結でき、家族のような存在の仲間たちとバスケができたことが、今となっては本当に幸せな日々だったと感じております。厳しい練習で共に流した汗、勝利した時の感動、負けたときの悔し涙、飲み会での数々の笑いのエピソード、すべてが私にとって一生の宝物です。「One for All , All for One」当時の部活で掲げていた言葉ですが、バスケはひとりではできません。個々の力がまとまってこそチームの力となり、またチームの力は個々の力の支えとなります。20周年を迎えるバスケ部がOB、OG、現役部員みんなで大きな輪となって力を発揮し、バスケを心から楽しめる部として発展していくことを切に願います。



現在では歯学部の中でも大きな部活となってきた半面、部を運営していく上で、色々と困難も出てくることでしょう。私もOBのひとりとして、この20周年という節目を機にOB、OG同士、そして現役部員との結束をなお一層強め、現役部員達の支えとなっていきたいと思います。今後の九州大学歯学部バスケ部の益々の発展をお祈りして、結びとさせていただきます。




2004 オールデンタル終了後



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